第三者から見た“松浦亜弥”

今日一日に関しては特に書くことがないので、書いてなかった感想を書こうと思います。



亜弥とあややについて書こうと思ったんですが、読み終えたのが一ヶ月近く前でちょっと間が空いちゃったのでもう1回読み直します。。。。(汗




新聞のコラムのお話。
4/29の朝日新聞28面。亜弥紺についてのコラムが載ってました。


書いていたのは作家の人。アイドル評論家とか音楽評論家とかじゃないわけです。

つまり割と一般人的目線から書かれているわけです。(中を読んでみると意外とそうでもなかったりするわけですがw)




さすが作家だけあって、表現力とかボキャブラリーは多い。
「うまい表現だなぁ〜」って思う部分がいくつもありました。

あややという歌手は、今日においては類い稀なるアイドルと称される存在であり、松田聖子の後継者と見做す人も多いことから、型通りの表現が負の形容には繋がらず、むしろ貴重な美徳として作用してしまう独自性を持っている。


要は、亜弥は根っからのアイドルだからどんな褒め方をしても亜弥自身が輝く、ということでしょうか。



なるほどねぇ〜、って。
まぁ合ってると思いますよ。今は。



昔も書きましたが、亜弥の天賦の才能っていうのは「いろんな場面に適応して、それを吸収する」っていうところだと思うんです。
やったことが成功したにしろ失敗したにしろ、その経験が亜弥の血となり肉となり。



“天性のアイドル”っていう表現も違うと思うんですわ。
だって、初めて100KISSを歌ったハロ正月紺ではガチガチでしたから。最後にちょっと笑うのが精一杯。



素質はあったと思いますが、それを磨いたのは間違いなく亜弥自身です。



だから、亜弥にはもっと他の素質があると思います。
アイドルという出来上がってしまった殻に閉じこもらない。



まず生身の存在としての松浦亜弥がおり、彼女が演ずる「完璧なアイドル」でありアニメ的パフォーマーとしてのあややがステージ上に立ち現れることにより、自らの視界が現実の直視と幻像の享受とを同時に果たしているかのごとき錯角を私たち観客は覚えるだろう。


う〜ん。。。。
ライブ中にそんなこと考えたこともねぇ。。。。w
だってステージにいるのは間違いなく亜弥ですし、それで十分楽しいんですから。



でもこの表現って、見に行ったことのない人にはすごく興味をそそられると思います。
つまり「実像と偶像が同時に見える」ってことでしょ?
なんだそりゃあ、ってなりますよ。



遠近感の混乱を誘う構成が今公演の特色と言えるが、それも偏にあややという「彼方の星」が輝かし過ぎるせいでもあろう。


筆者から見て、今回の公演って言うのはそういう風に見えたみたいなんです。(やっぱり自分はこんなこと思わないわけですがw)



アイドルってよく“テレビの向こうの遠い存在”って言われますよね。
そういう意味では亜弥ってすごく近い存在だと思います。
ライブでのちょっとしたやりとりなんかそうですよね。



遠そうで近い。そんな存在かなぁと思います。