素敵な言葉に彩られて(6)

強くなることはないです。
弱い自分に苦しむことが
大事なことなんです。
人間は元々弱い生き物なんです。


それなのに、心の苦しみから
逃れようとして強くなろうとする。
強くなるということは
鈍くなるということなんです。
痛みに鈍感になるということなんです。
自分の痛みに鈍感になると、
人の痛みにも鈍感になる。


自分が強いと錯覚した人間は
他人を攻撃する。
痛みに鈍感になり優しさを失う。
いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、
それを大事になさい。


(テレビドラマ「聖者の行進」野島伸司脚本)


最近Coccoがテレビで「強く儚い者たち」を歌ってたんですが、それと重なる部分もあるのかなって思いました。
歌詞→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64839
でも歌詞を噛みしめると死にたくなる人が多いみたいですが。w



強くなりたいって気持ちはここ数ヶ月でよく思うようになってたことです。
自分の行動や言動がどこかで誰かを苦しめてたり傷つけてたりしてるのがわかったとき、自分がもっと自立してやらなきゃいけないって思って。
もっともっと自分が大人になれたら、誰も傷つけずに済むのかなって。


でも、そうやって思っててもそんなことはできなくて。
やっぱり誰かを傷つけて迷惑かけて支えられながらやっていくことしかできない。


それでも強くなりたいって思ったら、他人への嫌悪感が出てきました。
「自分が頑張ってるのに、この人がもっと気を遣ってくれたら」とか。


そうなったらもう自分が強いのどうのって関係なくなってきてしまい。
それを冷静になって考えたときに、また弱い自分が嫌になって。
いろんな要素が重なって、スパイラルになってる。

弱いところだけと向き合うことは、
ワタシ的には、オススメできません。
気が滅入るから。


強くなっても、
自分に残っている弱さと
向き合うことが大切だと思うんです。

そして、出来れば、
強くなるとか意識しないで、
一歩ずつでも前進してみる。


その結果、もし強くなったら、
別の弱いところと向き合う…


本当に弱いままでいいとなったら、
人は、誰かのせいにしたり、
依存し合うことだけに、
心を注ぐことになる。


最強になれずとも、
昨日の自分より前進、
今日の自分より前進、
そんな気持ちは必要だと思います。


けれど、
自分の弱かった頃を
忘れちゃいけない。


それを忘れると、
誰をも育てることが
出来ない。


誰も育てることが出来なければ、
自分だけになっちゃって、
いつかは行き詰まる。


それに、
自分一人だけの世界に
入りこんじゃうと、
錯覚しか見えませんからね。


そういう意味で、
弱さは大事なんだと思います。


「また迷惑かけてごめんなさい」ってメールを送ると、「人に迷惑かけることがそんなにいけないことですか?」って返ってくることがあります。
その言葉は「気にすることないよ」って言われるよりも素直に受け止められました。


もちろんそういう気持ちを忘れて傲慢になるのは一番嫌だけど、支えて支えられてでなんとかなってるのかなって。
自分が誰かに迷惑をかけたと思ったら、その分を他の誰かに還元すればいいんじゃないかって思いました。
それも自己中な考え方と言われればそれまでですが、みんながそういう考えを当たり前に持ってたら、みんながみんなプラマイゼロにできるよね。



昔に比べたら、自分は誰かに気持ちを伝えることができるようになったと思います。
オカンに昔の自分のことを聞くと、そういうときは近寄れないぐらい変なオーラが出てたって言ってました。



自分の中に閉じこもりすぎるのも、他人に寄りかかりすぎるのも、どっちもダメなんですね。
それはバランスを考えるんじゃなくて、気持ちの中で自然にそのバランスが出来上がっていくものなんだと思います。
そこも経験ですね。今までこんなことが少なかった分、いろいろ考えてみる機会なんだと思って。