素敵な言葉に彩られて(7)

形の違う心 何度でもぶつけあって
人はみなそれぞれに 生きてゆく術を知る


(B'z 「Ocean」)

最近、歌詞を噛み締めて曲を聴くことが多い。
歌はいいよ。詞だけよりもすんなり心に入ってくるから。

ぶつかっていますか?


ぶつかれる相手、
受け止めてくれる相手、
自分の近くにいますか?


受け止めてくれなければ、
ぶつかっても、
お互いが妙なところを打ち、
ケガをするばかりです。


それでも、
そういうぶつかり方から
自分の生き方を身につけていく。


私は…と考えれば、
ぶつかる方かな、
ぶつかられる方かな?


多分、ぶつかる方が多い。
そして、その時の相手の反応を見て、
手を抜いてみたり、
ぶつかるのを遠慮したりしている。


もっと若い頃は、ただ
ぶつかっていただけだろうな。
相手の能力も、迷惑も考えず…


「自分が傷ついた」
なんて言う人に限って、
けっこう人を傷つけていたりする。


というのは、
ぶつかられた時にかわせないから、
傷つくことにも通じるわけで、


そういうことから考えれば、
うまくかわせない人は、多分、
うまくぶつかることも出来ない。


ぶつかられた方は、
けっこう傷つくわけだ。


傷ついた、傷つけられた。
なんていう事実よりも、
その傷で、自分はどう生きるか。

これが大切だよねぇ。

頭ではわかっているけど、まだ受け入れられない言葉です。
(“頭ではわかっている”っていうのも、ホントはわかってないのかな。)


他人のことと自分のこと、事実を受け入れなきゃいけないこと。


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ちょっとペースを落とそうと思います。
もう少し1つ1つを考えたいので。


まぁ誰に言われてやっていたことでもないんで、ここで言うことでもないんですがね。